生きる。自殺。死。 どう考える?
2003年2月18日今日はちょっとまじめな感じですいません。
死ぬことは怖い。
私はただ漠然と昔からそう思っていた。記憶にある限りで、死について一番最初に深く考えたのは小学生で不登校になりしんどいい時だった。その時考えたのは「死んだらどうなるのだろう?」ということだった。今ここにある意識はいったいどこに行くのだろう。何もなくなるということがどうしようもなく怖くて私は泣いていたと思う。
自殺のニュースが最近良く流れている。心中サイトがどうというやつだ。呼びかけた男は就職活動が上手くいかないという理由で自殺したらしい。生きていることの価値観は人それぞれ、その人その人の様々なことに対する感じる重みも人それぞれ。
だけれども僕はそのニュースを見て、そんな簡単なことで死んでしまうのか。というのが第一印象だった。一緒に死んだふたりの女性の理由は知らない。これまでに何度もニュースで流された自殺の報道。そのたびに自殺の理由を言われるが、何一つとして「じゃあしょうがないな」と思うような理由は見あたらなかった。
死を覚悟することは出来てなんで死ぬ気で何かをしようとういうことが出来ないのだろうか?
私も死のうと思ったことがないわけではない。正確には死のうと思ったわけではないが。死んだほうが楽になれるのではないかと思ったからである。しかし、実行に移すことはなかった。死ぬことが怖かったのかもしれない。
そんなときにもう一押しがあったら私はその時死んでいたであろうか?「一緒に死のうよ。」と誰かに誘われたならば私はそこで終わっていただろうか?起こらなかった仮の真実の答えはわからない。人は不安定なものだと思う。
では何故死にたいと思うのか、たとえ今が最悪でも、そこから上がっていくということは考えられないのだろうか?
思うことは、未来というのはいつも不明瞭である。そのため今の現状から未来を予測しようとするのではないだろうか。最悪の状態で予想した未来に幸せな想像というのは難しい物だと思う。このままズルズルより最悪な方へ行くのだと落ち込んでしまうことのほうが多いのではないだろうか?
そして、そんなときに見る希望のある未来というのは甘い理想と思えてしまうものなのかもしれない。
落ち目から上がるためには努力が必要だ、その努力をすることはいつも難しい。努力の出来る人間は私はどんなことが出来る人間よりも素晴らしいと思う。
その努力が自分には出来るのか?出来るわけがない。否定的になりがちな時の思考はこんなものではないだろうか。
絶望の未来よりは死を。そんな理由なのではないかと思うのだ。自殺の動悸というのは。
死ぬことは至極簡単だ。ぶるさげた縄に首をくくればいい。薬を飲めばいい。高いところから飛び降りればいい。努力なんて何もいらない。責任なんて死んだものには関係ない。先のことなんて何も考えなくていい。今までのことも、罪悪感も、余計なことなんて何も考えなくていい。誰になんと思われようと死んでしまえば関係ないのだ。自殺は自分勝手の極地なのだと思う。何も関係ないのだから。
リセットボタンを押した感覚なのだろう。
しかし、死んだ先に何があるかは誰も語ってはくれない。すこぶる楽に見える死の先には何があるかはわからない。そして誰も戻っては来れない。
そして自殺する人達は自分の価値を知らない。何一つすくい取ることが出来ない。そういう人なのだと私も勝手に解釈する。
私の周りで亡くなった人で死にたいと思って死んだ人はいない。
みな最後まで生きたいと一生懸命生きた。死にたくないのに死ぬ人がいて、死にたいからと言って何十年も残りある人生を捨てる人がいて。あるいはそれはご飯の食べ残しのようなもので、空腹だけど何も食べられない人がいたり、嫌いだからといって簡単に捨ててしまう人がいるのと同じようなものなのかもしれない。
しかし、それはどんなものよりももったいない捨てるものだ。誰も拾えはしないのだから。
無闇に未来への希望を経たないで欲しい。たとえば今がどんなに辛い現状であったとしても。どうせ死ぬなら死ぬ気で努力をして欲しい。ただの私の我が侭なのかもしれない。だけれども決して誰にも出来ないことではないのだから、そして誰かの死は誰かにきっと深い空虚感を産むのだから、自分の命を気安く捨てないで欲しい。
残飯などとは違う、天秤にかけてはいけないものなのだから。
死ぬことはいつでも出来る。でもたった一度しかできない。死にたかろうと死にたくなかろうと。放っておけば勝手にいつかはなくなってしまうこの身体。そう、自分の気持ちなんてものはまるで時というやつはお構いなしだ。
時間は無限だとしても、生物のタイムリミットは産まれたその瞬間、生命として形を作ったその瞬間に決まっているのだから。
なにも早く死にたがるのはやめてほしいものだ。
生きることは辛く、死ぬことは楽。否。
死ぬことは簡単なのであって決して楽ではないのだ。
先が見えない怖さはどちらにもある。自分は弱い人間なんて言い訳はやめてもらいたい。胸を張って自分は強いといえる人間なんて言える人はそう多くはないのだから。弱いのならば強くなれるのなだから。ひとだけではなく自分の命の重さもわかってもらいたいと思う次第である。
失敗だらけで、格好良くもなく、努力も大して行ってはいないけれども。私は、生きようと思う。いつか何かを掴めることを、信じながら。現実を受け止めながら。強くなれるように。
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